先に断っておくこと
この記事で書くことは、すべて僕の主観と記憶です。相手の本音や、本当に態度が変わったのかは、僕には証明できません。むしろ、自分の見方が変わっただけの線も十分あります。それでも、ログとして残しておきたい揺れがあったので、正直に書きます。
僕は27歳男性で、2025年10月末から身体づくりを本格化し、体重は82kg前後からいまはおおむね73kg前後です。体脂肪も少し下がった記録があります。美容面では医療脱毛を8回完了し、スキンケアもクレンジングから乳液まで習慣化しました。体重や脱毛の回数など、事実として言える数字は手元のログに合わせています。
※美容面では医療脱毛を8回完了し、スキンケアもクレンジングから乳液まで習慣化しました。このあたりの詳細は、次の記事にまとめています。
脱毛8回前後と肌のルーティンを続けたら、年齢の話が雑談に混ざるようになったメモ
82kgのころ、数字を言うと驚かれた記憶
周りから見るとがっちりしている、そんなに太っていない、という見え方が多かった時期があります。それでも体重を口にすると驚かれることがあり、本人としては見た目と数値のズレを笑って流しながら抱えていました。いま振り返ると、その頃の僕は自分の輪郭をはっきり認めたくない側面もあったと思います。
外見が少し変わったあとに感じた接し方の違いは、ゼロから生まれたというより、もともとあったコミュニケーションの幅を、自分が使えるようになったという説明の方がしっくりきます。相手が急に優しくなったのではなく、僕が閉じていた窓を少し開けた、というイメージです。ただしこれも推測です。
※外見が少し変わったあとに感じた接し方の違いは、ゼロから生まれたというより、もともとあったコミュニケーションの幅を、自分が使えるようになったという説明の方がしっくりきます。このあたりの詳細は、次の記事にまとめています。
「痩せた?」が効くときと、効きすぎるとき。自己肯定感の上下を正直に書く
変わったのは、外見だけではない
見た目以外も動いています。食事の記録、歩き方の意識、睡眠を数字で見るようになったこと、整体に通い始めたこと。だから、たとえ接し方に変化を感じたとしても、髭が薄くなったからだけとは切り分けられません。服装を少し変えた、表情が柔らかくなった、といった積み重ねが混ざっている可能性が高いです。その前提を置いたうえでの話です。
コンビニのレジで、会話が続いた気がした日
具体的な場面を一つだけ挙げます。コンビニでレジに並んだとき、店員さんと短い会話が自然に一つ増えたように感じた日がありました。天気の話でも、ポイントカードの話でもない、ほんの一言です。以前から悪意があったわけではなく、たぶん僕がこちらを向いている時間が増えたのかもしれません。
たとえば、むくみが強いころは、無意識に視線を落としがちで、声も小さかった自覚があります。いまは鏡を見る負担が減った分、人と目を合わせやすくなった、という説明の方が、僕の体感に近いです。だから、店員さんが変わったのではなく、僕の出方が変わったという解釈の方が正しい可能性は高いです。
「痩せた?」と言われたときの、複雑さ
体重が動き始めた頃、知人から痩せた?と聞かれることが増えました。悪い気はしません。ただ、頭のなかでは別の線で整理していました。僕の目的は、いわゆる健康的ながっちりさの延長ではなく、中性的に見える質感に寄せたい、という方向です。だから褒め言葉がそのまま報酬に変換されない瞬間もありました。
ここで大事なのは、相手が悪いわけでも、僕が贅沢なわけでもない、ということです。社会には見た目に基づく短いラベルが付きやすい。僕も無意識に人をラベルしているはずで、だからこそ、接し方の違いを感じたと言い切るのは怖い。ラベルが先に変わったのか、中身の認知が後から追いついたのか、まだ分かりません。
職場のオンラインでは、差が出にくい
僕の仕事は画面越しが多いです。顔つきや肌のトーンは、照明やカメラの性能でかなり誤差が出ます。だから、リモート中心の日は、外見より声のトーンや返信の速さの方が印象を作る感覚があります。線上で接し方の違いを感じにくい日が続くと、オフラインでの違和感が、かえって鮮明に感じることがありました。これも錯覚の余地は大きいです。
身だしなみが変わると、自分の立ち位置の想像が変わる
服装をオーバーサイズから少しずつジャスト寄りに寄せたとき、鏡の見え方も変わりました。試着室ではジャケットと合わせてばかり見て、単品のシルエットに気づくのが遅れた失敗もあります。外見の話と接し方の話は直線ではつながりませんが、自分がどう見えるかの予測がずれると、人混みの中での歩き方も変わる体感はありました。これも主観です。
断定を避ける理由
もしここで、整うと優遇される、と書いてしまうと、読者の誰かを傷つけるかもしれません。外見に余裕がない時期の人にとって、努力不足の圧力に聞こえかねないからです。僕自身、82kgのころから「変わりたい」と思っていたので、その痛さは忘れたくありません。
だからこの記事の結論は、たしかに違いを感じた瞬間があった。ただし原因は複数あり、観測者は僕一人なので断定しない、で止めます。もし同じような揺れを持っている人がいたら、一人じゃないという共有になれば十分です。
いまも抱えている違和感
髭の青みは薄くなっても、骨格や元バスケ部の体格は残ります。理想像に届いたわけではありません。接し方の話とセットでいうと、褒められるほど、ギャップが浮き上がる日もあります。外見が少し整うと、中身の未完成さが目につく、という逆説もあると思います。
そこまで含めて、見た目と社会のあいだの距離感は、これからもログに残していくつもりです。誰かの論文ではなく、一人の試行錯誤として読んでもらえれば幸いです。
最後に一つだけ。肌の手入れを続けてから、写真に写る自分への耐性が少し上がった感覚があります。集合写真を見返すときに、以前ほど即座に顔だけ隠したくならない。これは社会の接し方とは別軸ですが、自分との接し方は確かに変わりました。効果の一般化はしません。個人の記録です。
飲み会の場では、外見の話題が出ても笑って流す練習をしてきた自覚があります。いまも基本は同じです。変わったのは、流したあとで自分を責め続ける時間が、以前より短くなった気がする、くらいの話です。これも主観で、日によってぶれます。だからこそ、記事にしづらい揺れだと思います。
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このブログでは、食事・足元・脱毛や肌など同じ軸の記事を横断して読めるようにしています。


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