「男が美容なんて」という頭の中の言い訳を、どう手放し始めたか

美容

言い訳は、悪意というより先に「恥」と「手間」だった

僕は27歳男性で、データエンジニアとして働いています。美容に本気で向き合い始めてから、心のなかで何度も再生されたフレーズがあります。男が美容なんて、というやつです。声に出すほど古臭いと思うのに、行動を選ぶ直前に顔を出します。

振り返ると、その言い訳は道徳の話というより、恥ずかしさの避難所だったことが多いです。店頭で化粧水の棚の前に立つ。脱毛クリニックの受付で名前を呼ばれる。自宅でクレンジングを塗る。どの場面でも、一度立ち止まって周りの視線を想像してしまう癖がありました。本当に誰かが見ているわけではないのに、見られている気がする。そこで「男はそんなことしない」に逃げると、行動が止まります。

※脱毛クリニックの受付で名前を呼ばれる。このあたりの詳細は、次の記事にまとめています。

美容にお金をかけるのは浪費? 僕が優先順位を付け直した考え方

世間の褒め言葉が、本人の理想とズレるとき

僕は元バスケ部で、がっちりした体格です。周りから見ると、健康そう、逞しい、と言われることがあります。体重が82kgだった頃、数字を言うと驚かれることもありました。そういう反応は悪意ではないのに、本人としては理想のラインに届いていない感覚の方が強いことがありました。

世間が求める「健康的な男」像と、僕が本当に憧れる「中性的で綺麗に見える」方向は、同じベクトルではありません。だから、周りの基準に合わせて笑って流すほど、自分の中の言い訳が強化される矛盾がありました。美容に手を出すのは贅沢ではなく、自分の理想に向かう行動だと言い切れるまで、時間がかかりました。

脱毛が、言い訳の壁を最初に壊した

事実ログとして、僕は医療脱毛を進め、いま8回完了しています。初回は恥ずかしさと痛みの両方がありました。がっちり体型で場違いではないか、という感覚もあったのは事実です。それでも続けた理由は単純で、理想に近づくルートがそこに見えたからです。
脱毛は、化粧水ほど日常の棚に並ばない分、最初の一歩が重いです。ただ、一度クリニックのドアを開けると、言い訳のテンプレが効きにくくなりました。施術はプロの仕事の流れの中で進み、自分は指示に従えばよい。恥は残りますが、行動を止める言葉に変換しにくい経験でした。痛みのループや、麻酔の判断など、別の悩みはありますが、それは別の記事の話です。

※事実ログとして、僕は医療脱毛を進め、いま8回完了しています。このあたりの詳細は、次の記事にまとめています。

全身脱毛の初回で、自分の身体への恥ずかしさと向き合った。がっちり体型のままクリニックのベッドに上がった日

スキンケアは、小さく始めるほど言い訳が薄れた

以前は洗顔だけ、あるいは化粧水をつけるかどうか、くらいでした。いまはクレンジングから乳液まで並べています。一気に全部を導入したわけではありません。夜だけクレンジングを足す、くらいの粒度から始めると、頭の中の言い訳が薄くなる感覚がありました。
男が美容なんて、と言いたくなる瞬間は、ステップが大きすぎるときにも起きます。いきなりフルセットを完璧にやろうとすると、続かない。続かないと、また言い訳が戻る。だから僕は、一工程だけ追加して一週間様子を見るを繰り返しました。肌の見え方の変化は個人差が大きく、医学的な効果を断言するつもりはありません。ただ、毛穴やくすみの体感が変わった、という記録はあります。

※いまはクレンジングから乳液まで並べています。このあたりの詳細は、次の記事にまとめています。

男でもクレンジングした方がいい、と思った理由(日焼け止めを塗るならなおさら)

お金の話を避けると、言い訳が増える

美容はお金がかかります。脱毛、化粧品、服、整体、記録のためのガジェット。整体は肩こりがきっかけで通い始め、姿勢の癖を言語化してもらえたのが大きかったです。全部を一度に揃える必要はありませんが、ゼロ円でもない。言い訳の一種として、浪費だというラベルが浮かぶことがありました。
僕にとっての整理は、優先順位でした。いまの生活でいちばん苦しいのは何か。見た目のコンプレックスが、食事や睡眠の乱れに直結しているなら、そこに予算を寄せる理由はある。もちろん収入や環境で最適解は変わります。他人に同じ割合を勧めるつもりはありません。大事なのは、言い訳としての浪費認定を、そのまま信じないことでした。

※脱毛、化粧品、服、整体、記録のためのガジェット。このあたりの詳細は、次の記事にまとめています。

見た目が整ってきたあと、接し方の違いを感じた話(断定はしない)

「誰のためでもない」と言えるようになるまで

美容の言い訳には、ときどき綺麗な飾りが付きます。誰かのため、恋愛のため、仕事のため。動機が複数あってもいいのに、僕は最初、自分のためと言うのが一番恥ずかしかったです。自己愛という言葉が、卑屈に聞こえた時期もあります。

いまは違います。鏡を見る回数が増えたのは、ナルシストになったからではなく、状態チェックとしての鏡に近づいたからだと感じています。肌の赤み、髭の剃り残し、服のシルエット。確認して、次の一手を決める。美容は、自分を好きになる儀式だけではなく、管理とケアの習慣に近いです。

情報の取り方を変えると、言い訳の材料が減る

昔は、男向けの美容情報が少ない、という言い訳もありました。いまは違います。情報は多すぎるくらいです。だから問題は量ではなく、自分の肌と生活に合う選び方です。僕は購入メモを残し、試した順番と失敗を記録するようにしました。頭の中の言い訳は、具体が増えるほど薄くなります。

顔まわりでは、眉サロンにはまだ行けていませんが、自宅で無駄を剃り、長さを整えただけでも印象が変わった、という記録があります。雑な手順だったのに効いた、という体験は、美容への抵抗を下げるのに効きました。大げさな覚悟が要るのは最後の一手だけかもしれない、と感じたのはこういう小さな成功の積み重ねでした。

他者の選択を裁かない

この記事で言いたいのは、男はみんな美容すべき、という話ではありません。興味がない人がいて当然です。僕は自分の理想に向けて試しているだけです。他者の美容の有無をジャッジする言葉は、結局自分にも返ってくると感じています。

個人差と免責

肌質、予算、環境、価値観は人によって違います。僕の記録は一人称のログです。正解を提示するつもりはありません。

まとめ

「男が美容なんて」は、僕の中では恥と手間と、周りの基準の混ぜ物でした。脱毛という大きな扉と、クレンジング一つという小さな扉の両方を通ると、言い訳は完全には消えませんが、行動を止める力は弱くなりました。世間のがっちり称賛と、自分の中性的な理想のズレを認めたうえで、優先順位を自分で決める。説教ではなく、いまの僕のメモです。言い訳が浮かんでも、一度だけ「それ、本当?」と自分に聞き返す習慣が、いちばん続いています。

※脱毛という大きな扉と、クレンジング一つという小さな扉の両方を通ると、言い訳は完全には消えませんが、行動を止める力は弱くなりました。このあたりの詳細は、次の記事にまとめています。

鏡を見る回数が増えた。自己愛ではなく「状態チェック」として

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