最初の数キロは、正直うれしかった
2025年10月末にこの身体の立て直しを始めたとき、事実ログに書いたとおり、僕の体重は82kg、体脂肪率は27%でした。急にだいたい2000kcal前後を目安にして、食事を記録し始めた直後は、とてもしんどい日が続きました。ジャンキーなものが食べたい、量が物足りない、守れない日もある。それでも増加傾向にあった体重が、下がり始める方向に振れると、ごほうびみたいに気分が上がりました。
身長170cmなので、82kgという数字を人に言うと驚かれることも多かったです。周りから見た印象は「がっちりしている」側で、体重の重さと見た目のズレについては別のエピソードとしても残しています。だからこそ、針が動いた瞬間の安心感は大きかった。減量は正義ではありませんが、自分の理想に近づくための手段として、数字が味方に見えた時期がありました。
※2025年10月末にこの身体の立て直しを始めたとき、事実ログに書いたとおり、僕の体重は82kg、体脂肪率は27%でした。このあたりの詳細は、次の記事にまとめています。
痩せるスピードの体感。月1kgくらいのイメージで焦りを減らせた話
4kgほど落ちたあたりから、週が平坦になる日が増えた
ここからは、カレンダーの日付まで細かく切れる記録ではなく、体感としての区間の話になります。おおむね82kgから78kg前後に近づいていった頃、体重計の数字が毎日ちょっとずつではなく、同じ帯をさまよう週が出てきました。朝の計測は続けているのに、グラフの傾きが見えにくい。記録アプリを開いても、脂質で注意されつつ、全体のカロリーは守れているように見える。そんなときに、いちばんきついのは身体より頭でした。
「また太り返したのでは」「代謝が壊れたのでは」「この先もう減らないのでは」といった思考が、証拠なく浮かびます。僕はもともと、仕事の合間に不規則な外食で現実から目をそらしがちな人間でした。だからこそ、数字が止まると、昔の自分に引き戻される不安が強くなりました。停滞は、体重の問題というより、生活の不安が数字に吸い寄せられる現象に近いと今では思います。
※おおむね82kgから78kg前後に近づいていった頃、体重計の数字が毎日ちょっとずつではなく、同じ帯をさまよう週が出てきました。このあたりの詳細は、次の記事にまとめています。
毎朝体重計に乗る習慣と、Wi‑Fi連携で「記録し忘れ」が減った話
「減っていない=努力が無駄」にしそうになる癖
正直に書くと、僕は努力を数値で評価しがちです。記録を続けていると、その傾向はさらに強くなります。守れた日は偉い、破った日はダメ。そんな二値化は心に負担が大きいのに、止まっている週は特にゼロかイチかにしたくなります。
でも、体重は水分や塩分、睡眠、腸の状態でも変わります。運動量や歩数、筋肉の張り方でも変わります。だから「今週減っていない」は、生活の全部が悪いという意味にはならないはずです。頭では分かっていても、鏡を見た瞬間や、服を選ぶ瞬間に、不安が上書きされる。停滞期のしんどさは、そこにありました。
※停滞期のしんどさは、そこにありました。このあたりの詳細は、次の記事にまとめています。
体重が動かない週に見直した3つ。塩分・睡眠・便通を、自分のログで順番に並べ直した話
記録をやめないでよかったのは、別の線が見えたから
止まっているように見える週でも、記録を続けていると、体重以外の項目は動いていることがあります。歩数、睡眠スコア、たんぱく質の取り方、野菜の量、外食の回数。全部が毎週良くなるわけではありませんが、少なくとも「何もしていない週」ではない、という事実は残ります。僕にとってそれは、自己弁護ではなく、焦りの燃料を減らす材料でした。
また、週単位で平坦でも、月単位で見るとまだ下の帯にいる、ということもありました。グラフは魔法ではありませんが、近視眼になりすぎないための距離感をくれます。SNSで誰かのビフォーアフターを見て焦る時間ほど、自分の記録の方が残酷で、同時に救いにもなりました。他人の生活と条件が違うことは頭で分かっていても、止まっている週は比較が忍び寄ります。だからこそ、手元の記録だけを一時的に見る、という切り替えが必要でした。
手元の記録の一例を載せます。時期や区間は人によって違います。82kg台から下がり始めたあたり、平坦に感じた帯、そのあとまた階段を降りた帯、と画面を切り替えると見え方が変わります。



あすけんの注意表示だけが増える日もあった
停滞期は、食事の中身が同じでも気分が沈みやすいです。僕は脂質でアプリに注意されつつ、たんぱく質は守りたい、という癖が強いので、余計に「減らないのに叱られる」感じが重なりました。週末のラーメンはやめていないので、週の後半に向けて心の余裕が減ることもあります。メリハリ自体は悪くないと思っていますが、平坦な週の真ん中で週末を待つと、平日が長く感じる。そんなときほど、記録を閉じる前に「今日は野菜を足した」「睡眠の条件を一つだけ良くした」といった、体重以外の小さな成功を拾うようにしました。自己満足に聞こえるかもしれませんが、停滞の心理的な負担を下げるには効きました。
停滞のあいだに、生活の土台だけは戻さない
停滞が続くと、極端なことをしたくなります。カロリーを大きく削る、運動を無理に増やす、記録自体をやめる。僕が試してよかったのは逆で、極端さを足さないことでした。noshと白米と冷凍野菜の夜の型、コンビニでたんぱく質を足す道、週末のラーメンのメリハリ。事実ログに書いた枠組みから外れない。外れた日があっても、次の日に戻す。停滞期は成果が見えにくいので、ルーティンを信仰みたいに扱うしかない日もありました。
信仰と言うと大げさかもしれません。正確には、「成果が見えないときほど、手順を単純にする」です。思考が複雑になるほど、生活は壊れやすい。僕はその典型なので、自分に言い聞かせました。
おわりに:停滞は「失敗のラベル」ではなく、区間の名前
82kgから78kgのあたりで、はじめて強く感じた停滞の話です。人によって停滞が来るタイミングやキロ数は違います。僕の数値が読者の目標と一致する保証はありません。医学的な説明や、誰にでも当てはまる対処法を提示するつもりもありません。
書きたかったのは、針が止まった週の心の動きです。減らないと怖い。努力が無駄に見える。昔の生活に戻りそうで不安だ。そんな気持ちは、記録をしている人ほど出やすいと思います。だからこそ、体重以外のログを見る、グラフの縮尺を変える、夜の型を単純に保つ。小さな手順の話に留めました。
いま事実ログを更新すると、体重はおおむね73kg前後、体脂肪率も少し下がった帯にいます。振り返ると、停滞の週は何度もありました。それでも続けられたのは、理想像が強かったからだけではなく、記録が「自分を殴る棒」ではなく「戻る場所」にもなったからだと思います。完璧ではありません。これからも平坦な週は来るでしょう。来たときの自分へのメモとして書きました。
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