イベント化すると、終わった瞬間に戻り道が見える
ダイエットを始めるとき、人はつい「いつまでに何キロ」みたいな締切を立てます。僕も最初は、鏡の違和感と、友人の心配と、理想像の再想起が重なって、勢いで食生活を切り替えました。勢いは強い味方ですが、勢いだけで回していると、ゴールのあとが空っぽになりやすいです。イベントは、準備と本番と片づけがあります。本番が終わったら、会場は元の倉庫に戻る。身体の話でも、同じ構図が起きます。
僕が怖かったのは、記録をやめた瞬間に、また日高屋やマックの頻度が戻る自分です。開始前のエピソードには、仕事を理由に現状から目をそらしていた面も残しています。だから僕は、ダイエットを成果発表会にしないように、言葉を変えました。体重が目標に近づいても、生活の型は解体しない。解体するのは、試行錯誤のなかで明らかに合わなかった部分だけ、という順番にしました。
※僕も最初は、鏡の違和感と、友人の心配と、理想像の再想起が重なって、勢いで食生活を切り替えました。このあたりの詳細は、次の記事にまとめています。
記録は「減量モードのスイッチ」ではなく、毎日の時計にする
あすけんの画面は、減量のときだけ開く道具ではなく、今日の食事の地図として使い続ける方が、僕には合いました。脂質で注意される日があっても、たんぱく質は守りたい、という癖は、痩せたあとも残るはずです。記録をやめると、知らないうちに脂質が積み上がるパターンに戻ります。僕はジャンキーなものが好きな人間なので、目を離すと戻りやすい自覚があります。
記録を続けることは、自分を締め付けることと同義ではない、とも思っています。守れた日が偉い、破った日がダメ、にしすぎると折れます。僕が大事にしたのは、空白の日を減らすことでした。出張や飲みの翌朝は欠損が出やすい。欠損が続くと、グラフも気分も途切れる。体重計の記録と同じで、食事の記録も、生活の連続性を保つための点です。
※体重計の記録と同じで、食事の記録も、生活の連続性を保つための点です。このあたりの詳細は、次の記事にまとめています。
毎朝体重計に乗る習慣と、Wi‑Fi連携で「記録し忘れ」が減った話
noshと冷凍野菜のセットは、「特別メニュー」にしない
事実ログにある定番の型、noshに白米150g、冷凍のほうれん草とブロッコリーを足すセットは、僕にとって減量期だけの我慢飯ではありません。忙しい日に栄養の最低ラインを守る現実解です。レンチンで回せることは、継続のための設計です。生野菜が向かなかった理由も、エピソード棚に残しています。無駄が減ると、罪悪感が減る。罪悪感が減ると、イベント後に「もういいや」となりにくい。
週末のラーメンで3000kcalくらいのメリハリも、特別扱いにしすぎない方が続きます。平日が我慢の連続で、週末だけ解放、だと週末が祭りになります。祭りが終わると寂しい。僕は平日を極端に削りすぎない範囲で、週末を生活の一部として置いておきました。ラーメンの翌日がしんどい日もある、という正直さも残しています。それでも、週末を消すと長い目で見たときに反動が怖い。メリハリは、イベントの前後ではなく、週のリズムとして置く方が、僕には合いました。
※レンチンで回せることは、継続のための設計です。このあたりの詳細は、次の記事にまとめています。
リバウンドを防ぐって言うけれど、僕がいま守っているのは「意思」より「型」だった
体組成と睡眠は、単発の成績表ではなく健康の天気予報にする
SOXAI Ringの睡眠スコアは、酒を飲んだ夜に壊れることを数値で見ました。これは「減量が成功した証拠」ではなく、翌日の判断力が落ちるサインとして使う方が長く続きます。睡眠が悪いと食欲が荒れやすい、という体感も別の記事に書きました。イベント思考だと、スコアが悪い日に自己嫌悪が増えます。生活思考だと、悪い日は条件が悪かった、と切り分けて、水を飲む、早めに布団に入る、といった小さな戻し方を探します。
※SOXAI Ringの睡眠スコアは、酒を飲んだ夜に壊れることを数値で見ました。このあたりの詳細は、次の記事にまとめています。
「とりあえずビール」の夜、睡眠スコアが落ちた。SOXAIリングが教えてくれたこと
外見の目標と、生活の目標を同じ箱に入れない
僕が目指しているのは、中性的でしなやかな見え方です。体重や体脂肪は、その途中の指標でしかありません。イベント化しやすいのは、体重の数字だけを箱のふたにして、中身を空にしてしまうパターンです。数字が目的になると、達成した日に儀式が終わります。僕は、鏡の違和感を減らす生活を続ける、という箱の方を大きくしました。箱が大きいと、中に入る道具も増えます。整体、ストレッチ、歩き方、スキンケア、脱毛の通院。食事の記録は、その箱の底に敷くマットみたいな位置づけです。
整体とストレッチは「緊急キャンプ」ではなく、通う幅として置く
事実ログには、整体への通院と、毎日のストレッチも入っています。これを減量のイベント期間だけの特訓にすると、終わったあとに身体が元の癖に引き戻される感覚が怖いです。僕は、肩こりがきっかけで通い始めた整体を、姿勢の癖を覚えるための教室くらいの位置づけにしました。ストレッチも、最初は項目を多くやりすぎて挫折した反省から、股関節ともも裏に絞った続く形へ戻しています。イベントで頑張って終わらせるのではなく、週のどこかに必ず入る予定として置く。身体の土台の話は、食事の記録と同じで、連続性が本体です。
「戻ったら恥ずかしい」だけでは続かない
動機に羞恥や焦りがあるのは自然です。ただ、恥ずかしさは燃料として強いですが、長期の燃料には向きません。燃料が切れたときに残るのは、生活の導線がそのまま残っているかどうかです。デスクで座りっぱなしの日は血流の感覚が悪い、と感じるなら、立つタイマーを置く。靴を変えて歩き方をいじる。こういう小さな導線は、体重のイベントとは別に積み上がります。
僕はまだ途中です。事実ログの時点でも、体重は日々変動する帯にいます。書いているのは完成論ではなく、イベントで切らないためのメモです。読者の生活や健康状態は人それぞれです。医療に相談すべきサインがあるなら、記録より先にそちらです。効果を保証したり、誰にでも同じ型を勧めたりはしません。
おわりに:終わりの日を決めない
ダイエットに終わりを設定するのは自由です。僕は、終わりの日を決めない方が、戻りにくいと感じました。代わりに、続ける幅を決める。記録を開く幅、野菜を足す幅、睡眠を守る幅。幅が狭すぎると折れる。広すぎると意味が薄れる。僕は試行錯誤のなかで、いまの幅に落ち着いています。これから先、幅は変わるかもしれません。変わっても、イベントの成功と失敗で自分を切らないようにしたいです。
仕事が忙しくて外食が増える季節も、体調を崩して動けない週も、どちらも生活です。そこで「ダイエットを休む」ではなく、いまできる幅だけ残すと言い換えると、再開がしやすいと感じます。全部をゼロにしない。体重計に乗るだけ、記録を一行だけ、といった最小単位を決めておくのは、イベント思考から抜けるための保険でした。
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このブログでは、食事・足元・脱毛や肌など同じ軸の記事を横断して読めるようにしています。


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