「痩せた?」が効くときと、効きすぎるとき。自己肯定感の上下を正直に書く

食事

言葉は軽いのに、胸のあたりは重くなることがある

「痩せた?」は、たいてい好意です。僕も聞かれた側として、素直にうれしい瞬間があります。同時に、その一言で一日の気分の音量が変わることもあります。朝、体重計の数字が平坦な帯をさまよっている日に、誰かに声をかけられると、記録の解釈がぐちゃっとします。数字は動いていないのに、見た目だけが先に変わったように感じる。逆に、数字は下がっているのに、誰も気づかない日は、さみしさが混ざる。僕はこの揺れを、意志の弱さだと決めつけないようにしています。人間の評価は、複数の入力が混ざると不安定になるだけです。

82kgの頃からあった、見た目と体重のズレ

エピソード棚にも残しているとおり、周りから見た印象は「がっちりしている」側で、体重を言うと驚かれることが多かったです。身長170cmで82kgは、本人にとってはパンパンに感じる体でした。環境によって基準が違うのは理解していても、現場で笑って流したあと、家に帰って悔しさが残ることもありました。減っていく途中でも、同じ構造は薄まるだけで消えません。見た目の変化は服や照明、むくみで変わる。体重は朝の条件で変わる。他者の一言は、そのどちらか片方だけを拾っていることがあります。

だから「痩せた?」は、体重の公式発表ではありません。相手の記憶と、その日の見え方と、会話の空気の合間に生まれる雑音みたいなものに近いです。雑音をごほうびのサインにしすぎると、次の一言が来ない日に自己評価が落ちます。

褒められた日ほど、夜に食事が荒れやすい自分がいる

これは規則ではありません。ただ、僕には経験としてあります。調子に乗る、というより、緊張が一段抜ける感じに近いです。記録アプリを閉じる手が緩む。脂質が跳ねる食べ物に手が伸びる。コンビニのたんぱく質ルートを忘れる。褒め言葉は悪くないのに、僕の頭の中では「許可証」みたいに誤作動することがあります。だから褒められた日は、わざと記録を早めに閉じる、野菜の皿を先に用意する、といった小さなガードを入れるようにしました。自分を信用しすぎない日を作る、という意味です。

「変わったね」は、体重以外の話であることも多い

脱毛で髭の青みが薄くなったり、スキンケアで肌の見え方が変わったり、姿勢や歩き方をいじったりすると、体重と別の軸で印象が変わります。事実ログにも、肌まわりの変化は書いています。相手が言っている「痩せた?」は、輪郭のラインの話かもしれない。僕は聞き返すのが苦手なので、曖昧なまま受け取りがちです。曖昧に受け取ると、頭の中で勝手に体重の話に結びつける。そこでズレが生まれます。

だから最近は、心のなかでだけでも、どの軸の話か分けて置くようにしています。体重のログ、歩数のログ、睡眠のログ、肌のルーティン。褒め言葉を一つのグラフに落とし込まない。落とし込むと、そのグラフが平坦な週に自己否定が強くなる。

※体重のログ、歩数のログ、睡眠のログ、肌のルーティン。このあたりの詳細は、次の記事にまとめています。

睡眠スコアが低い朝は、食欲の言い訳が増える。SOXAIリングのログと向き合った話

自己肯定感を他人の口に預けない練習

完全に預けないのは難しいです。人間です。僕は記録を続けているので、数字に預けすぎる癖もあります。数字も他人の言葉も、参照点にはなるが、主人にならせない、くらいの距離を目指しています。守れた日を偉いと言い切らない。破った日を終わりと言い切らない。停滞の記事でも書いたように、体重以外の項目が動いている事実を拾う。そこに戻ると、褒め言葉が来なくても、来すぎても、生活の芯だけは同じ場所に残りやすいです。

※停滞の記事でも書いたように、体重以外の項目が動いている事実を拾う。このあたりの詳細は、次の記事にまとめています。

82kgから78kgのあたりで、はじめて味わった停滞。針が止まった週の心の動きを正直に書く

試着室の鏡と、人の目は同じ鏡ではない

ユニクロのパーカーで痛感したように、試着室ではジャケットと合わせて見ていたせいで、単品のシルエットの問題に気づくのが遅れました。体重が変わっても、上半身の厚みが先に消えるわけではない、という自覚は、人からの感想とも噛み合わないことがあります。「痩せた?」と言われた日、家で鏡を見るとまだパンパンに感じる。逆もあります。僕はこのズレを、どちらかが嘘だと決めつけないようにしています。鏡は近い。人の目は遠い。距離が違うと、拾う情報が違う。試着のコツを変えたのと同じで、褒め言葉も一枚剥がしてから受け取る練習です。特定の店や職場の話にはせず、個人の感覚のメモに留めます。

※ユニクロのパーカーで痛感したように、試着室ではジャケットと合わせて見ていたせいで、単品のシルエットの問題に気づくのが遅れました。このあたりの詳細は、次の記事にまとめています。

78kgから73kg付近まで落ちたあたりで、服のサイズが変わり始めた感覚。試着室での気づきも含めて

ストレスで食いが荒れた翌日に、自分を切らない

ストレスで食いが荒れた翌日ほど、頭の中の裁判が激しくなります。翌日の立て直しで踏んでしまった失敗は、別の回にも書きました。褒め言葉の話と直接は同じではありませんが、感情の上下が食事の記録に染み込む点は共通します。誰かに褒められたから調子に乗った、誰も褒めてくれないから落ち込んだ、食べすぎたから終わりだ。そんな短い回路に気づいたら、いったん記録を閉じて、水を飲んで、次の一食だけ整える。自己肯定感を高く保つ技術より、低い日に生活を切らない技術の方が、僕には必要でした。

※自己肯定感を高く保つ技術より、低い日に生活を切らない技術の方が、僕には必要でした。このあたりの詳細は、次の記事にまとめています。

自己肯定感が上がる・下がる。見えないけれど、身体ログを続けたら分かった瞬間

比較の話は、SNSとリアルで二段構えになる

動画や写真のビフォーアフターは、編集と照明と角度が混ざります。リアルの「痩せた?」は、その場の距離と声のトーンが混ざります。どちらも、自分の生活の再現性とは別物です。僕は比較が好きではないのに、止まっている週ほど比較が忍び寄ります。だから比較対象を増やさない日を作る。スマホを伏せて、今日は手元の記録だけを見る。自慢でも敗北でもない、点検として見る。

まとめ:一言はうれしい。でも、生活の舵にはしない

「痩せた?」はうれしい。僕も言われたら照れます。それでも、自己肯定感の主電源にすると、充電が不安定になります。僕の体験では、体重と見た目と生活習慣は、同じ速度では進みません。他者の言葉も同じです。遅れて届くこともあれば、場面が合わずにズレて届くこともあります。

読者の環境や人間関係は人それぞれです。コメントの受け取り方も違います。本文は個人のログで、誰かの体型を良い悪いと並べる話ではありません。医療的な話や、摂食に関する専門的な支援が必要な場合は、ネット記事より専門家へ、が先です。効果を約束したり、褒め言葉の扱い方を一般化したりはしません。僕自身が、まだ揺れながら練習している途中のメモです。

※本文は個人のログで、誰かの体型を良い悪いと並べる話ではありません。このあたりの詳細は、次の記事にまとめています。

73kgあたりで気づいた。顔の「大きさ」は、脂肪とむくみの比重が大きかった

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